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月別アーカイブ: 2007年4月月

真岡(長倉)線未成線を歩く その2

 切り通しの先にどんどん進んで行くと、未成線跡と道路が分かれそのまま跡を進むと柵があり、車では進めなくなります。
長倉未成線トンネル手前
 車を置いて徒歩でその先に向かいます。
 その先は砂利も無くなっており、草の上を進むことになりました。
長倉未成線境界標
 未成線の路盤の脇に「工」の字の境界標を発見しました。
 国鉄の建設用地だった証しです。
長倉未成線のトンネル 茂木側
 車を置いた場所からちょっと緩い右カーブを進むとトンネルが現れました。
 トンネルの中がカーブしているらしく、向こう側の明かりは見えず、中は当然真っ暗です。
 懐中電灯も持っていないのに、探検隊気分の私達はトンネルに侵入しました。

真岡(長倉)線未成線を歩く その1

 昨日のブログに引き続き2007年4月1日(日)のネタの続きです。
 筑波鉄道真壁駅跡を見た後、用事のあるG氏を水戸線の新治駅で降ろし、残った3人で真岡鉄道の北真岡ー西田井間で下りのSL重連列車を撮影、さらに茂木駅まで移動してSL列車の構内入れ替えを撮影しています。
 上りのSLまでは少し時間があったので、国鉄真岡線の延長予定区間が途中まで建設されていたので、探索することにしました。
 この未成線は、茂木駅から水郡線の玉川村までの路線として計画され、途中長倉という集落を経ており、建設の終点をとりあえず長倉にしたため、長倉線という工事線名が付いています。
 SLの入替えを茂木駅で撮影後、未成線の築堤を横に見ながら少し先の区間まで移動します。
 未成線跡は築堤の先、道路に吸収されたりする区間もありますが、終点に向かって右側に併走しています。
 道路と一旦離れて再び道路と交差する場所が小井戸地区にあり、その地点から道路とは別ルートになります。
 未成線跡は農道として利用されているようで、砂利道になりますがあまり草も生えていません。

長倉未成線のコンクリート橋
 道路から分かれて少し進むと、川を渡るためにコンクリー橋が現れます。

長倉未成線の切り通し
 コンクリート橋の先で山裾に接近しており、切り通しで未成線跡は抜けています。

長倉未成線の築堤
 コンクリート橋の脇の一段高いところからだと、築堤が続いているのが分かります。
 右側が茂木方面になります。

筑波鉄道真壁駅跡の様子

 鹿島鉄道の最終日翌日の4月1日に、真岡鉄道のSL重連を撮影したことは以前のブログに載せました。
 本日は、その日の他のネタです。
 石岡の宿を出発して真岡鉄道へ向かう途中で、筑波鉄道の廃線跡と交差します。
 やはり廃線跡を見掛けたら、寄っていくのが当然とばかりに真壁駅跡に寄ってみました。

真壁駅ホーム跡の桜
 真壁駅には桜の木があり、線路が無くなった今でも花を咲かしていました。

真壁駅跡の2本のホーム
 この駅のホームは2本とも残っていました。
 主要駅だったので、この駅で折り返す列車もあったようです。

真壁休憩所の看板
 筑波鉄道の廃線跡は全線ではないですが、岩瀬土浦自転車道として整備されています。
 真壁駅の地点は真壁休憩所として整備されていました。
 休憩所の看板は駅名標を模した形をしています。

高松琴平電鉄、電鉄琴平駅にて

 こんぴら温泉で宿泊した翌日、またまた出発前に高松琴平電鉄の電鉄琴平駅とJR琴平駅を見に行ったのでした。
 金比羅温泉側から歩いていくと、電鉄琴平駅は金倉川と言う川を渡ったところに川と平行にありました。
 ホームには元京急700形の1200形が留置されています。
電鉄琴平駅全景
 駅のバックに見えている右側の建物は、駅の隣にある、金刀比羅宮北神苑内にある、高灯籠と言う名の灯籠です。
 高さは27.6メートルあり、日本一高い木造の灯籠だそうです。
 瀬戸内海を運航する船の目印となっていたのでした。
電鉄琴平駅駅舎
 電鉄琴平駅の駅舎です。
 1988年に建て替えられた駅舎であり、隣の高灯籠との景観も考えられているそうです。
1200形と1100形
 駅の高松側にも本線と平行する形で留置線がありました。
 留置線には元京王電鉄5000系の1100形が留置されており、本線を1200形が走ってきたところを写しています。
 宿と駅の間にあった郵便局が昔の琴平急行電鉄の駅があった場所で、琴参閣と言う大きな旅館の位置が琴平参宮電鉄の駅の場所でした。
 両鉄道の痕跡が少しだけ残っているのは知っていましたが、そこまで探索している時間は残念ながら無しでした。

玉藻公園に行ったついでの琴電

 3月に四国へ行った時のついでに道後温泉で伊予鉄道を撮影しています。
 その当日の観光は、栗林公園→玉藻公園(高松城跡)→金比羅さんと巡っています。
 玉藻公園の脇には高松琴平電鉄の高松築港駅があり、お堀の外側に沿って線路が敷設されています。
玉藻公園 艮櫓の横を走る琴電
 玉藻公園の艮櫓の脇を琴電が走っていきます。
 この高松築港~瓦町の区間は、琴電琴平へ行く琴平線と、長尾へ行く長尾線の電車が走っています。
 写真の黄色い電車は琴平線の車両で、緑色の車両が長尾線の車両となっているようです。
お堀越しの高松築港駅
 玉藻公園の中からお堀越しに高松築港駅が見えました。
 ちなみにこのお堀は海水を引き入れているのです。
高松築港駅の様子
 高松築港駅の外観です。
 後ろに見える木々がある場所が玉藻公園です。
 近くには港もあり、JRの高松駅もあります。

静岡へ行った時の話 その14

 清水港線の廃線跡を見た後は、再び静岡鉄道へ乗車して静岡方向へ向かいます。
 そのまま乗り通すつもりでしたが、電車の中から見えた富士山は掛かっていた雲が完全にどいており、思わず長沼駅で車両基地にいる車両を入れて撮影しています。
 夕方はホーム側から撮ると側面に日は当たりませんけど、きれいに富士山が入ったので良しとしました。
 新静岡駅まで行かずに日吉町駅で下車してJRの静岡駅まで歩きます。
 静岡駅に着くと強風の影響で若干ダイヤは乱れていました。
 午前中ほどの人数はいませんが、113系を撮影したり、特急ワイドビュー東海を撮影に来ている人が15人ほどいました。

特急東海4号の回送が入線
 特急ワイドビュー東海4号になる車両は、東京方の留置線から入線してきます、

特急東海4号東京方先頭車
 東京方の先頭車を撮影すると発車時刻が迫っているため、すぐ車内に入りました。

東海中間貫通ドアのヘッドマーク
 東海に使用される373系電車は、3両編成での構成になっているため、6両での運用では中間にも先頭車が入ります。
 中間の貫通ドアのヘッドマークも特急東海が表示されていました。
 波と富士山をイラスト化したヘッドマークを撮影して、この旅行は終了です。

静岡へ行った時の話 その13

 草薙駅から再び静鉄電車に乗車して新清水駅に向かいます。
 次の目的は廃止となった清水港線の跡を見ることでした。
 清水港線は清水駅から美保駅までを結んでいた路線で、1984年3月31日付けで廃止となっています。
 新清水駅から港の方に向かうと、廃線跡に出ることが出来ます。

清水港線跡の遊歩道 清水駅方向
 この地点は清水港線の清水~清水埠頭間です。
 この辺りの廃線跡は遊歩道として整備されています。
 写真は清水駅の方向を見て撮っています。

清水港線跡の遊歩道 清水埠頭方向
 今度は反対向きの清水埠頭駅方向を見たけ様子です。
 遊歩道を清水埠頭駅の方向へ歩くと、エスパルスドリームプラザに出ます。
 ここは貨物駅だった清水港駅の跡地になります。

清水港駅跡のテルファクレーン
 海に面して謎のオブジェが立っていますが、これが港の船から材木をそのまま貨車に積み込むシステムがあった名残です。
 全国でも直接貨車に荷揚げできた場所は少なかったようです。

清水港駅跡のテルファクレーン反対向き
 このオブジェの名前はテルファークレーンと言います。
 ここにも案内板があったので、そのまま全文を載せておきます。

 テルファークレーン(木材積込用クレーン)
 このクレーンは、昭和3年国鉄清水港線清水港駅に木材を貨物に積込む荷役機械として作られました。
 当時の我が国には神戸、名古屋にしかない最新式のクレーンで、従前はベルトコンベアーで一日かけて1貨物車に積み込んでいたものが、わずか48分ですむようになり、費用も3分の1になりました。
 その後、木材や石炭の荷役機械として活躍しましたが、時代とともにその用途もなくなり神戸や名古屋では撤去、清水港でも、昭和46年に使用停止になりました。
 しかし清水港発展の歴史をとどめる遺産として、また日本近代産業の遺構としてたいへん価値あるものであることから、平成10年に補修工事が行われ、当公園のシンボルとして保存されることになりました。

 この先の線路はちょっと痕跡が分からなくなっています。
 さすがに歩きで時間もなかったので、この先の探索は諦めました。

静岡へ行った時の話 その12

県立美術館前駅
 県立美術館前駅まできました。
 ホーム部分が2両対応と短いので、駅舎部分がかなり大きく見える駅です。
 更に隣の草薙駅に向かって歩くと、富士山がバックに見える場所がありました。
県立美術館前~草薙間の富士山
 撮影した時にはまだ上半分が雲で隠れていました。
草薙駅と富士山
 そのまま草薙駅まで来た頃には、富士山上部を覆っていた雲はかなりどきましたが、撮影地点からだと電線などでごちゃごちゃしています。

静岡へ行った時の話 その11

 車両基地を後にして線路に沿って歩いてみました。
 電車内からは富士山が見える場所が何カ所かあったので、バックに入れて撮れるかもしれません。
古庄~県総合運動場の1012他
 古庄駅の県総合運動場側の様子です。
 この辺りの線路際は家が多く、すっきりと撮れる場所ではありませんでした。
古庄~県総合運動場間、国道の橋梁
 古庄~県総合運動場間には国道1号線があり、鉄橋で跨いでいます。
 その国道に掛かる歩道橋からかろうじて富士山を入れて撮ることが出来ました。
 残念ながらかなりごちゃごちゃしているので、きれいな風景とはなりません。
 この撮影の後は富士山が雲に覆われてしまったので、昼食タイムとしました。
古庄~県総合運動場間の川を渡る
 国道を跨いだ線路はそのまま築堤となりその後に川を渡ります。
 川を渡った後も築堤になっており、その先はJRのヤードを跨ぎます。
 JRのヤードを跨ぎ終わると県総合運動場駅になっていました。

静岡へ行った時の話 その10

 長沼駅脇の踏切を渡ると静岡鉄道の鉄道営業所があります。
静岡鉄道車両基地の様子
 折角来たので、鉄道営業所を訪れたところ、車両基地の撮影許可をもらえたので、構内の撮影を開始しました。
静岡鉄道クモハ20
 駅から見た時に一番気になっていた、旧型電車のクモハ20が撮影できたのでラッキーでした。
 このクモハ20は、1930年に現JR鶴見線の前身である、鶴見臨港鉄道が新潟鉄工浅野造船所に発注したモハ100形の1両でした。
 1957年に静岡国体開催時の輸送力増強対策として、鶴見臨港鉄道の国有化によって国鉄籍となり、その後現役を退いたモハ103、107、109の3両を国鉄より譲渡を受け、クモハ18、19、20として1957年8月に静岡鉄道に来ています。
 新型車の増備により、クモハ20号以外は廃車となり、1両のみが庫内入換、工事用車両として機械扱いとして使われていた物です。
 1997年に写真にも写っている、軌道モーターカーが導入されて現役を引退しています。
 以前、銚子電鉄にいたデハ301も鶴見臨港鉄道から移った同型車でした。
 鹿島鉄道の最終日に仮設住宅氏と会った時の話では、私が行く少し前に静岡鉄道に行った時には、表に出ていなかったので、まともに撮影できなかったそうです。
 このブログを書くために改めて静岡鉄道のことを調べたら、3月19日以降にクモハ20が解体されてしまったようです。
 静岡鉄道の3月9日付けのホームページに解体前に一般公開がされるとの話が載っていたようですが、気が付いていませんでした。
 結果として撮影することが出来たので運が良かったのでしょう。
 この基地には古い電動貨車もいるようなのですが、この時は気が付きませんでした。
静岡鉄道の軌道モーターカー
 軌道モーターカーは大切に使われているようで、きれいな状態でしす。
 でもこの車両が導入されたお陰で、クモハ20がお役ご免→解体となったのです。

KD55-101より

 2014年9月27日(土)

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